さまざまなテーマポートやエリアで私たちゲストを楽しませてくれる東京ディズニーシー。
エリアごとに雰囲気やBGMが異なり、散歩しているだけで世界旅行をしているかのような体験ができます。
その中でも特に異国情緒に溢れたエリアのひとつが、アメリカンウォーターフロントにあるケープコッドです。
ケープコッドはアメリカの田舎町を再現したのどかなエリアですが、近年はダッフィーたちの住む町としても有名ですね。
イベントのときには明るい装飾が施されにぎやかな雰囲気にもなりますが、実はケープコッドには数々の困難や悲しい歴史が隠されているのです。
エリアの舞台背景について知ることで、何気ないケープコッドの風景が今までとは違う景色に見えるかもしれません。
ケープコッドがあるのは東京ディズニーシーの左側に広がるテーマポート・アメリカンウォーターフロント。
アメリカンウォーターフロントは20世紀初頭のアメリカをテーマにしており、大きく3つのエリアに分けることができます。
中でも今回ご紹介するケープコッドは他の2つのエリアに比べてゆったりとした雰囲気の町並みで、BGMを聴きながらのんびりお散歩をするのにぴったりなエリアです。
中でもケープコッドに広がる入江ケープコッド・コーヴは、時間帯によって様々な表情を見せてくれます。
夕暮れ時にはとてもロマンチックな雰囲気も味わうことができますので、カップルにもおすすめの場所です。
それでは早速、ケープコッドの生い立ちについてご紹介していきます。
ケープコッドのモデルとなったのはアメリカ・マサチューセッツ州のニューイングランドに実在する漁村ケープコッドとナンタケット島です。
穏やかな海と灯台、そして木々と家が並ぶ風景。
のどかな雰囲気がどことなく似ていますね。
お話は1680年、アメリカがまだイギリスの植民地だった頃まで遡ります。
ある日この土地にイギリスから2隻の移民船がやってきました。
1隻目はイライアス・ウィンスロップ船長の船。
そして2隻目はジョシュア・ベッドフォード船長の船。
二人の船長は自分の名前を地名にしようと名乗り出ましたが、どちらも譲らず話し合いが長引いてしまいました。
するとそのとき、一人の女性が水中で泳いでいるタラを見て言いました。
「ねぇ船長さん、私たちお腹が空いているの。
ケープ(岬)コッド(タラ)村と呼びましょうよ」
船長たちとその場にいた群衆の皆は賛成し、この村は「ケープコッド」と名付けられることになったのです。
コッドという名前の通り、この村はタラ漁がとても盛んでした。
実はケープコッドにはタラの缶詰工場があります。
シェリーメイのグリーティングが行われており、またトランジット・スチーマーラインの搭乗場所にもなっているこちらの建物。
実はこちら、元々は缶詰工場だったのです。
上部には「GRAND BANKS CANNERY(グランドバンクス缶詰工場)」と書いてありますね。
また、建物を別角度から見てみると…
大きく「FISH(魚)」と書かれていたり、「CANNERS FINE COD(美味しいタラの缶詰)」と書かれていたり、タラ漁が栄えていたことが伺えます。
以前はタラを缶詰にする工程が見られる装飾が飾られていたのですが、グリーティング施設となってからは見られなくなってしまいました。
現在はトランジットスチーマーラインの降り口に少しだけ缶詰が飾られていますので、ご興味のある方はぜひ見てみてください。
さて、ここからはケープコッドにある様々なプロップス(装飾小物)から村の歴史を探っていきたいと思います。
ケープコッド村誕生のお話については先述しましたが、村の中にケープコッドの設立について記した石碑があります。
1680年、私たちは愛国者としての誇りを持ちケープコッドを設立した。
ケープコッドができたのは1680年ということが分かります。
アメリカンウォーターフロントは1912年という設定ですので、村ができてからまだ230年ほどしか経っていないのですね。
石碑が置いてあるのはレストラン「ケープコッド・クックオフ」の前。
なぜこの場所に置かれているかというと…。
クックオフがあるこちらの建物はケープコッドのタウンホール(村役場)。
村の真髄であるこの場所に、設立を記念した石碑が置かれているようですね。
クックオフの店内の壁にはケープコッドの歴史が分かる壁画も飾られていますので、レストランを訪れた際はぜひチェックしてみてくださいね。
ケープコッドにはミッキーのブロンズ像があります。
ミッキーが両手で舵を切っているデザインで、イベントに合わせて装飾が施されることもあります。
海をバックに写真に収めることができるので、記念写真を撮影している方もいらっしゃいますね。
こちらの像はマサチューセッツ州のグロスターにあるグロスター漁師の慰霊碑をモデルにしています。
漁師の男性が舵を切る姿がミッキーのブロンズ像と重なりますね。
グロスターでは嵐などの悪天候により海で命を落とす漁師が多かったことから、このような慰霊碑が立てられました。
ミッキーのブロンズ像の近くにはこのようなプレートがあります。
船と共に海へ消えた者たちへ
1623年~1912年
ケープコッドも嵐や台風などの自然災害が多く、海で亡くなった漁師たちを弔うためにこちらの像が作られました。
ケープコッドにあるダッフィーグッズ等を扱うショップ「アーント・ペグズ・ヴィレッジストア」の店主を務めるペグおばさんの夫も、海で命を落としています。
ケープコッドは温かい村ですが、実は悲しい過去もたくさん抱えているのですね。
タウンホールの近くに掲げられているこちらの旗。
上はご存知アメリカの国旗、下はケープコッドの紋章が描かれた旗です。
ケープコッドの旗を見てみると…
二人の男性が魚を挟んで立っています。
何ともユニークなデザインですが、本記事を読んでくださっている方はもうお分かりですね。
そう、冒頭でご紹介したケープコッド命名時のお話がモチーフになっているのです。
紋章の上に書いてある文字はラテン語です。
Hoc pisce vincimus
この魚を以て私たちは勝利する
直訳すると「この魚は勝つ」というちょっと訳のわからない言葉になってしまうのですが…(笑)
おそらく、このような意味合いを持っているのではないかと推測します。
村の誕生の際に起こった争いをタラによって乗り越えることができたことから、今後起こる様々な困難もルーツを思い出し乗り越えていくという決意表明なのではないでしょうか。
またケープコッド設立は1680年ですが、こちらの旗に記載してある年号は1689年。
紋章が定められたのは設立から9年後だったようです。
さらに旗の下に目をやると、石碑があります。
独立戦争で使命を果たしたケープコッドの勇敢な女性に捧げる。
この旗が長きに渡り翻ることを願って。
ケープコッドにはアメリカ独立戦争で活躍した女性がいたようです。
ちなみにケープコッドの紋章は旗以外にも、ヴィレッジ・グリーティングプレイスの外壁やケープコッド・クックオフ店内でも見ることができます。
ぜひ探してみてくださいね。
続いてはケープコッドのランドマーク的存在である灯台についてのお話です。
こちらの灯台の名前はハリケーン・ポイント・ライトハウス。
ハリケーン・ポイント・ライトハウスは台風のための灯台という意味です。
先でも少し触れましたが、ケープコッドは嵐や台風などの自然災害が多い村でした。
海に出る漁師たちが帰る場所を見失わないよう、この灯台が光を灯し続けているのでしょうね。
灯台に隣接する小さな小屋には、このような看板があります。
この光が遠くまで輝き、この海を渡る全ての船の導きとなりますように。
自由の娘たちからケープコッドに寄贈する 1909年7月4日
恐らく、独立戦争時代に実在した自由の息子たちをオマージュしているのでしょうね。
また、7月4日と言えばアメリカの独立記念日。
こうした細かいところで実在する歴史とのリンクを感じられるとワクワクします。
この灯台は嵐の犠牲者を弔いこれ以上の被害者が出ないことを願うと同時に、アメリカ独立の背景を後世に伝えているのです。
憩いの場として賑わうこの灯台ですが、たまにはそんな歴史背景を思い出しながら海を眺めてみると感慨深いものがありますよ。
アーント・ペグズ・ヴィレッジストアの近くにはこのような大砲が置いてあります。
大砲の名前はレボリューション・キャノン。
アメリカ独立戦争で使用され、その後ケープコッドに寄贈されました。
独立戦争の犠牲者を追悼し、また戦争があったことを後世に伝えているのです。
こちらの大砲もハリケーン・ポイントライトハウス同様自由の娘たちから寄付されたものと言われています。
村に何気なく置かれているプロップスにもちゃんとした歴史があり、意味があるのです。
ケープコッドに訪れた際はそんな細かいこだわりにも目を向けてみると、もっと楽しめるかもしれません。
ケープコッドのバックグラウンドストーリーのご紹介でした。
一見のどかな村に見えますが、悲しい歴史やたくさんの犠牲もあり現在の村が出来上がっているのです。
先人たちを大切に未来の平和を願う、そんな住民たちの思いを感じながら海を眺めてみるのも感慨深いものです。
可愛い装飾や穏やかな雰囲気に目がいきがちですが、村にはたくさんの歴史を物語るプロップスが隠されています。
ぜひそんなことを頭の片隅に置いてお散歩してみてください。
それでは、よい旅を。